”要らない仕事”はどこから生まれてくるか:RPA/AI自動化
RPAやAIを用いた業務自動化への取り組みが盛んですが、
自動化案件に関わっていると“そもそもこの業務いらなくね?”という事象にイヤというほどぶつかります。
結論から言うと、護送船団方式の日本的”経営”の負の産物の整理作業に繋がってくるのですが、そうすると大半の日本企業はちょっとやそっとじゃ改善できないんですよね。
そんなザ・昭和:高度経済成長を生き抜いた老舗企業!でもいちおう、自動化検討する際のお題目としては
通常業務可視化 > 業務整理 > 自動化ツール検討 > 実証(POC) > 実運用
という流れで進んでいくのですが、
ヒアリングして要件をまとめていくと、「業務整理」のところで3~5割は「不要業務」にぶつかります。
売り上げ情報を別々のエクセルに転記し集計したり、集計した内容がわかりにくいからと同様データを特定のセクション向けに投げたり、
会議の前にさらに違うフォーマットで集計しなおしたり・・・
これら、大元のデータを各セクションが使用するフォーマットに料理され、蹂躙され、会議が終われば捨てられ・・・
このようにして若手の地と涙の結晶として無駄な作品(エクセル)が量産されてしまうのです。
客観的に見るとムダだと思えたり、いくつかのセクションで共通化できたり、合理的な判断ができるものの、
組織内での役割という色メガネを通すと一気に進むべき方向を見失うことはよくあります。
それらの「進むべき方向」はいつ見誤ってしまうのか?
根源的には、「何も考えない」管理職によるトップダウン・レポートラインが完全に標準的日本企業の固定フォーメーションになっており、社内保身を目的として最低限の理論武装をするために周囲の若手が振り回されるわけです。
激動の昭和を生き抜いた「歴史ある」企業ならおおよそこのフォーメーションで未だに戦い抜いています。(実際には戦えてないので日本企業が没落しているのですが・・・)
これが”要らない仕事”が量産されてきた根源的なシステムです。
しかも今この瞬間もいろんな所で無駄な仕事が生まれていることでしょう。
それだけ強靭なシステムです。
RPAやAIの自動化および働き方改革が急に叫ばれはじめた背景には、どうやら政府から年金制度破綻をソフトに経団連へ伝えたことに端を発しているのではないかと推測しています。
時系列的に。
アベノミクスで形骸化しながらも護送船団方式でのらりくらりやってきましたが、いざ生産性やべーとなった現在、なかなか人=企業って長らく続けて、結果論といえど成功してたやり方を放棄して新しいことに踏み込めないですよね。
RPA/AI導入が叫ばれて、これまでもったいぶって行っていた社内政治や会議を「ムダ」とバッサリ切り捨てられるのはいろんな人を傷つけてしまうのであまり心情的には気乗りしません。
しかしこれからの時代はそんな旧時代の人々に気を遣っていたら一緒に沈んでしまいます。
我々日本人は「激動の昭和」「高度経済成長」の時代に当たり前だった価値観と決別し、自分の力で切り開く生き方を身につけなければならないのです。